ring the sweet
「これは全部描き直し」
上司の声が最後宣告のように頭を打つ。
「……申し訳ありません」
「明日の朝一番でクライアントに持ちこむ設計図なのは知ってるね? 今日中に仕上げて」
「……はい」
やり直しが出来上がるまで、ゆっくり4,5時間はかかるだろう。ほんの十数分前まで頭の中を占有していた達哉とのデートは確実に、ナシだ。戒めのように髪をきつく留め、デスクに新しい紙を広げる。
よりによってこんな日にポカミスをしでかす自分の馬鹿さ加減への苛立ちを隠しきれず、作業を進める手に力がこもった。どうしていつもこうなるんだろう。
達哉とは去年の暮れあたりから付き合っている。3つ年上で、背が高くて、それ以外は何の変哲もない人だけど優しい。
出かけられなくなったことをどうやって切りだそう、と迷ったまま作業を続けていたがそれも限界だ。5時を回ったところでそっと席を立ち、携帯のボタンを押した。
「お疲れ~。こっちは今終わったとこ」
会社の外に出た直後だったのだろうか、達哉の後ろではざわざわと音がする。
「ごめん達哉、今日会えないかもしれない」
「どした?」
「仕事でミスっちゃって。どうしても今日中に書き上げなきゃいけない設計図があるの」
「そっかー」
僅かだけどトーンの落ちた達哉の声。泣きたくなる。
「ごめん」
「仕事じゃ仕方ない。どっか飲みにでも行くさ」
「終わったら電話するから」
「ん」
どうしようもなくへこたれてくる気分をもてあましながら天井を見上げた。
私に描き直しを命じた上司も、同僚も、全員がオフィスを後にした午後8時。独りになったのをいいことに私は煙草に火をつけた。本当なら、この時間には達哉とイタリアンレストランで乾杯している筈だったのだ。旨い店をみつけたから、って2週間前から予約してたのに。
2Bの鉛筆を握る手に力がこもる。1秒でも早く仕上げればまだ達哉と過ごす時間があるかもしれないと云う希望がかろうじて仕事へのテンションを保っている。
早く、でもミスらないで、でも早く。
缶コーヒーの空き缶に煙草を押し込むと私は再び猛然と作業に取りかかった。
「で、き、たー!」
仕上がった図面を2度、3度と念入りに見なおしてミスがない事を確かめた後、上司の机にこれでもかとばかりに仕事の成果を置いてオフィスを出た。(達哉まだ飲んでるかな)携帯を取り出しながらビルの階段を降りると、そこには見慣れたコートと背中。
「なにしてるの!?」
「お、やっと来たな。このまま雪祭りの像になるとこだったよ」
「飲みに行ったんじゃなかったの?」
「だってさあ」
ぶるぶるっ、と大げさに身体を震わせた後達哉が続ける。
「上下左右どこ見ても全部カップルだぜ? 男独りで飲めるかっつの」
「あたしの家で待ってるとかしてれば良かったのに。……馬鹿なんだから」
「お前さあ、この極寒の中氷の像になりかけながら待ってた男に言う言葉が『馬鹿』? よーくわかった。プレゼント用意したけどもうやらね。ぜってーやらねえ」
「えーえーえー! なし、なし、いまのなし。全然馬鹿って思ってないから」
「現金な奴」
苦笑いしながら達哉が私の前に差し出したのは。
「ケーキ?」
「そう、ケーキ。フォークもあるよ」
「ここで食べるの?」
「そう。ほれ」
「いーやー! こんな寒い所でケーキなんていやー!」
「我儘言うな。食え。さっさと食え」
なにかの罰ゲームのように達哉の手から私の口にケーキが押し込まれる。
「きゃー! クリームがコートにー!」
「叫ぶか食べるかどっちかにしろ」
「……」
かちり。
恨めしげに達哉を睨みながらケーキをほおばった口の中に、何か堅い感触。悪戯っぽく私を見つめている達哉。
これって、
「指輪!?」
「こないだ買い物に行った時、ずーっとそれ見てたからさ」
「あーん、たっちゃん素敵、カッコイイ、ちょう愛してるー!」
「お前が俺を褒めるのは物貰った時と頼みごとする時だけだな」
「ね、つけてつけて」
「俺のぼやきは無視ですか」
「いいからつけてッ」
達哉が私の手を取って薬指にリングを通す。
「愛してるよ、は?」
「ばーか」
「なによそれー。愛が足りない」
「うるっせ」
照れ隠しにそっぽを向いた達哉に抱きつく。
「ねえ」
「ん、なんだ」
「もし、あのまま気がつかないで指輪食べちゃったらどうするつもりだったの」
「……そこまで考えてなかった」
「やっぱ馬鹿」
「馬鹿とはなんだ馬鹿」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とはなんだ、馬鹿」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とはなんだ、馬鹿、とはなんだ馬鹿」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とはなんだ、馬鹿、とはなんだ馬鹿とはなんだ、達哉の馬鹿」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とはなんだ、馬鹿、とは……何回言った?」
「しらない、バーカ」
雪も降らないしディナーもないクリスマスになったけど、幸せだ。
